歳食ってくると幼少期の記憶がどんどんおぼろげになって何が本当かも分からなくなってくる。しかし自分が書いたものを見れば何となくだが見えてくるものもある。作為ありありな物語の中にも往々にして作為のない体験あるいは情動が隠れるものだから。
今では誰を責めるもないのだけど、せめて自分だけは知っていないと誰も情けなんてかけちゃくれないし自分が可哀想じゃないかという自己憐憫もまたあり何かを書くということはやはり捨てることなぞできんなと痛感するわけで。つうか自分が心から安心できる居場所ってやっぱり自分の頭の中にしかないんだよね。時々振るい落とされそうにはなるけどしがみついて行くしかないわけだ。
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