2014年9月29日月曜日

929

 日頃のストレスや小説書けないもやもやはあるけれど、俺にはまだラナウェイできるゲームがある。
 新・世界樹の迷宮1はそろそろ佳境で、ボス戦の難度も高くなってきている模様だ。というよりも実際に高い。パーティの平均レベルは五十程度で所持グリモアは銀のグリモアを筆頭におおむねスキル枠が四つか五つといったところ。決して弱い訳ではないのだが伝統的にボス戦がほぼ初見殺しであるこのシリーズ、第五層中ボス戦も初見であっさり全滅させられる。
 こういったボス相手にwikiや攻略サイトの情報を利用しない場合は、一回戦とはあくまで様子見でしかない。特にパーティが半壊するような大ダメージを放ってくるボス相手にはしっかりとした対策が必要であり、そういった点も歯ごたえを追求するマゾヒスティックなプレイヤーを満足させる要素なのだろう。自分はマゾじゃないので軽く屠られた結果、暫く呆然と(恍惚と、ではなく)液晶モニタを見つめてしまった。三色ガード等のスキル構成にも穴があり見事にそこを突かれた敗北だった。
 しかし、この新1は3や4で採用されたサブクラスの代用であるグリモア制があまりに運に任せ過ぎていけません。

928

 昔は奇妙奇天烈な夢を毎夜のように見ていたが、近年は歳のせいか殆ど記憶に残るほどのものは見なくなった。
 一時期は夜ごとにYOUの知らない世界へのチャンネルが開いているのではないかと真剣に考えこむほど異常だったが随分と大人しくなった。
 一言に異常な夢といっても、ごくごく主観的な感覚でしかないため言語表現が難しい。それでも、例えば『父親が息子を延々と際限なく殺し続ける夢』と言えば少しは異常さが伝わるのではないだろうか。更に言えばその父親と息子は自分ですらなく、自分には明晰夢の自覚さえあり『これは地獄だなぁ』という感想すら記憶している有り様。某所ではわずかではあるが夢日記を纏めていたものの、内容があまりにぶっ飛び過ぎて筆が運ばなかったもの(神様らしきものと会う、或いはこの世の真理らしきものに触れる)もあり、そういう点では夢を見ないのも有り難いことかもしれない。
注意:いい夢もまったく見ない。

2014年9月26日金曜日

926

 書きかけたまま放置した小説のなりそこないがエディタの中に溜まってゆく。
 さながらコンポストのように次々と堆積し速やかに腐敗してゆくその断片は、せめて芽なり種なりの肥やしとなる日を待っている、たぶん。


2014年9月24日水曜日

924

普段の食生活における深刻なラーメン過多について記しておかねばなるまい。
事の起こりはおよそ二週間ほど前のある昼下がり
『俺、ラーメン買ってくる』
 と、齢七十を越えた我が父が出し抜けにそう言い、自分を含む家人を驚かせた。
 我が父は杖での歩行もやっと、という程度の肢体不自由者であり、外出と言ってもふだんは近所の病院やコンビニの往復で息切れする有り様ある。いっぽうその日の目的地であるスーパーまでは徒歩十分であり、父の足では更に倍以上は必要とすることは疑いなかった。
 我々はその事を突いて「あんたじゃ無理やろ」と煩く言うものの
『大丈夫大丈夫』と父は鷹揚に答え、やがて指摘などまるで意に介さぬままのんびりと家を出て行った。
 大丈夫を繰り返し言い、実際には全然大丈夫でないのは酔漢と共通の傾向である。
 さて出かけた本人はのんびりだが家族はのんびりとはゆかない。携帯を持っていけよとしつこく言ったものの結局帯び携えることのない電話機は父の部屋に置きっぱなしであり、どこぞで転んではいないか、立ち往生しとらんか、などと気を揉んだ。
 やがて一時間半ほどが過ぎ、『途中で何度か休んだ』と息を切れした父は帰ってきた。右手に杖、左手には大きなレジ袋を抱えての帰宅であり、袋は明らかに歩行の障害となっていた。袋の中には五袋セットのインスタント麺が四つ。父は計二十袋のラーメンを購入していた。
「なんでそんなに買ってきた」と聞くと、『安かったから』とけろりと答えた父であった。
 かくして我が家にラーメンはやってきた。日頃の炊事の煩わしさに「今日はラーメンでいいね?」と聞くのが習慣となるのもそう時間は必要なかった。とりあえずの苦しい弁明にキャベツや玉子を手鍋に落とし、簡素なラーメン生活は空疎な生活の隙間に蜘蛛の巣を張り巡らせていった。
 ラーメンの素晴らしい所は洗う食器が一つで済むことであり、あるいは調理のための鍋がひとつで済むことである。のんべんだらりとした我らが家族は手抜きを弾劾するような怒りを手にする機会もなくこのラーメンの日々にずるずると呑まれてゆくのである。
 そして昨日、今度は父に続き母が袋麺を備蓄スペースに詰め込んでいた。もうええわ。

2014年9月23日火曜日

923

好きで毎日のように見ていた米国ドラマも最近はあまり見なくなってきた。今では週に三本程度。
ところで昨今はSFモノが増えてきたように見える。有名所ではパーソン・オブ・インタレストなどだろうが生憎そっちは未見。自分が視聴しているのはオールモスト・ヒューマンやインテリジェンスなど、どちらかと言うとB級テイスト溢れる作品ばかり。特にインテリジェンスは90年代に放送してれば受けてただろうなあという見当違いな惜しさを感じるドラマに仕上がっている。ちょっとトンチキな科学者親子など登場人物もモロに90年代風なんだよなあ。

2014年9月14日日曜日

913

本来ホメオスタシスが勝手にやってくれる一部分を他人に委ねて生きていると時々自分が単純な部品で作られた機械でしかないようにも思えてくる。いくつかのネジの緩みや錆びを、担当技師と相談しながら締めたり緩めたり、サビ止めを噴霧したり。そうやって長い時間が過ぎたのに完成品としてロールアウトされることは決してない。いったい何だこれは、といつも思うことを思い、まあいいやと普段の日常へと戻る。


2014年9月12日金曜日

新1

例によって小説が書けず、その代償行為として始めたこの日記、ちいともネタがありやせぬ。
 日々の炊事などは既に習慣と化してしまって特に感動というものもなく、(とはいえ牛バラ大根なかなか美味だったのですが)時事をなど斜め見て小洒落た一言を捻り出せるようなセンスも意欲も乏しいわけで。こういう時はお得意な領域をネタにするしかない。
 とは言えここ数年漫画もそれほど読まず、ゲームも積みに回すこと山のごとし。溜め込んだ洋ゲーは全て売りに出してしまったし、手元にあるのは3DSと旧DSliteの二つのみときている。一応wiiもあるにはあるのだが肝心のテレビが部屋にあったりなかったりと安定せんのでほとんど遊んでない。
 で、3DS。新世界樹2についての続報を待つさなか、前作である新世界樹の迷宮がようやっと第四層まで進みましてさっそく枯レ森のBGMに魅入られる始末。
 しかし難易度スタンダードはちいとヌル過ぎた。全滅はいまだ一桁台で、それも同じポイントで三度FOEに挟撃されるという鳥頭的シチュエーション込み。一方で階層ボスは今のとこどれも初見で倒せているので単純にレベルを上げすぎているのかもしれない。
 しかし賛否両論あるけれどなかなか面白い作品になっていると思う。パーティキャラクターは特に中二病を発揮するでなく唐突にラブ突入などもなく嫌味を感じさせない真っ当な性格の人物ばかりだ。ストーリーは王道で、そこそこ先が読めてしまうがストーリーを愉しむ類のゲームでなし、それは特に障害にはならない。新要素はあるが従来のダンジョンをマッピングしながら進むゲームという趣旨から大きな逸脱がないのでダンジョン探索などはいつもの安心感がある。UI周りもDS時代より遥かに快適になっているし、パーティ変動がない点以外は違和感なくプレイできる。(ただし新機軸のグリモアシステム除く)

2014年9月11日木曜日

健康食品ヘイト

長い間病人をやっていると、偶に知人や親戚などから○○という健康食品が体にいいよ、と勧められることがある。
それはウコンであったり、ニノであったり、プルーンであったり、コエンザイムQ10であったりと様々だが、そういった健康食品の類に対しては素地としての猜疑心が強くあり、勧めてくれた人の印象まで一変させてしまう時もある。
 正直自分でも手を焼いている性向だが、そうなってしまう理由についてはなんとはなしに理解できている。根源として健康食品とはオカルトであるという理屈抜きの直感から来る生理的嫌悪感があるからだろう。
 そんな自分の母が某貴一のアレに染まった時は本気で頭抱えたよ。それなりに分別付けてるみたいだし人脈も利用されてないようで今じゃそれほど心配してないけど、複雑な気分ですよ……。
  
 

日記

数年前にネットにアップしていた日記を読み返す。
持病や家族、ゲームに映画。よくもこんなくだらないことをダラダラと書き続けたもんだと呆れるが、そう感じるのは今の自分の感性が昔よりも遥かに鈍くなってしまったからだろう。
例えば若い頃には様々な事柄に恐怖や不安を抱いていたが、今ではそれもあまり感じにくくなっている。感じにくくなっているというよりも馴れ過ぎて磨り減ってしまっているようだ。
もしかすると、そういったものは銀行口座のように用途に関わらず使えば減ってゆく仕組みになっているかもしれない。残高を増やす方法はもうないのか、分からないけど。
昔の日記は正直読めたもんじゃない内容だったが書いていた本人は結構満足していたようだ。書くことは癒やしだったのだろう。
ここもそんな癒やしの一部になれば良い、と思うのだけど。


一年経って二件目の記事を投下するなんてダサいことこの上ないのだがまあいいや。だってダサいんだもの。