普段の食生活における深刻なラーメン過多について記しておかねばなるまい。
事の起こりはおよそ二週間ほど前のある昼下がり
『俺、ラーメン買ってくる』
と、齢七十を越えた我が父が出し抜けにそう言い、自分を含む家人を驚かせた。
我が父は杖での歩行もやっと、という程度の肢体不自由者であり、外出と言ってもふだんは近所の病院やコンビニの往復で息切れする有り様ある。いっぽうその日の目的地であるスーパーまでは徒歩十分であり、父の足では更に倍以上は必要とすることは疑いなかった。
我々はその事を突いて「あんたじゃ無理やろ」と煩く言うものの
『大丈夫大丈夫』と父は鷹揚に答え、やがて指摘などまるで意に介さぬままのんびりと家を出て行った。
大丈夫を繰り返し言い、実際には全然大丈夫でないのは酔漢と共通の傾向である。
さて出かけた本人はのんびりだが家族はのんびりとはゆかない。携帯を持っていけよとしつこく言ったものの結局帯び携えることのない電話機は父の部屋に置きっぱなしであり、どこぞで転んではいないか、立ち往生しとらんか、などと気を揉んだ。
やがて一時間半ほどが過ぎ、『途中で何度か休んだ』と息を切れした父は帰ってきた。右手に杖、左手には大きなレジ袋を抱えての帰宅であり、袋は明らかに歩行の障害となっていた。袋の中には五袋セットのインスタント麺が四つ。父は計二十袋のラーメンを購入していた。
「なんでそんなに買ってきた」と聞くと、『安かったから』とけろりと答えた父であった。
かくして我が家にラーメンはやってきた。日頃の炊事の煩わしさに「今日はラーメンでいいね?」と聞くのが習慣となるのもそう時間は必要なかった。とりあえずの苦しい弁明にキャベツや玉子を手鍋に落とし、簡素なラーメン生活は空疎な生活の隙間に蜘蛛の巣を張り巡らせていった。
ラーメンの素晴らしい所は洗う食器が一つで済むことであり、あるいは調理のための鍋がひとつで済むことである。のんべんだらりとした我らが家族は手抜きを弾劾するような怒りを手にする機会もなくこのラーメンの日々にずるずると呑まれてゆくのである。
そして昨日、今度は父に続き母が袋麺を備蓄スペースに詰め込んでいた。もうええわ。
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